札幌市出身の飲食店勤務のアラサー男です
現在は東京都の郊外でイタリアンレストランに勤めています
転職転職なので一つの会社(お店)に長く勤めたことはないのですが
ここでは、僕が初めて勤めたレストランの話を書いていこうと思います
専門を卒業
北海道の調理師専門学校を卒業
大変不真面目な生徒でしたが卒業できてしまえば調理師免許は取得できてしまいます
そして
レストランに入社
新卒として入社したのが、当時専門学校の講師だったオーナーシェフのお店
このお店が現在はあるのかないのかちょっと定かではないのですが…
インターンで働いたこともあって下っ端の仕事内容はほとんど覚えた状態での入社となりました
お店はフレンチイタリアンのレストラン
・ランチタイム(11:00~15:00)
パスタ、肉料理、魚料理すべて日替わりメニュー
・ディナータイム(17:00~22:00)
固定のカルトメニュー、3種のコースメニュー
30席に満たないキャパの個人店でメインはシェフが担当、下っ端の2個上の先輩と僕はデセール、前菜、ホール業務、ドリンクメイクが仕事でした
僕が入社してすぐに2個上の先輩は退職し、8個くらい上の飲食未経験者が入社
この人はもともと魚屋さんで働いていたそうで、ものすごく魚を捌くのが上手でした
よく教えてもらってました あと乃木坂が大好きな人でした
この元魚屋さんと2人で下っ端として働いていましたがその間デセールと前菜の勉強をして
「こういうデセール出したいんですが」とプレゼンしたりしてました
そんな日々が続き、半年たったくらいだったかなー
シェフ「今後は製薬会社向けの弁当もやるからよろしくね」と
下っ端二人、(元魚屋とぼく)「はいはーい」って感じでした
ここからが地獄の日々のはじまりです
朝めっちゃ早い
めっちゃ早いんです なんでかって言うと個数がえぐかったんです
はじめの1か月くらいは多くて1日30個ほどでしたが、2か月目以降は増えに増えて1日50個前後のお弁当を作るのが日課となっていました。こうなると朝早く行って作らないと間に合わないわけです。元魚屋と8:00からやり始めようと相談し決めたわけです
7:00 起床
8:00 出勤(当時は実家だったためちょっと遠かったんです)
お弁当作成、梱包、配達
ここである問題が…
そう、配達まで行っていたため通常営業に支障がでるんです!!
はじめのうちはシェフが配達を行って元魚屋と僕で営業を回していましたが、弁当は幸か不幸か絶好調… 1日当たりの注文は増え、100…150…250…
最高で300以上も注文が入ったのを今でも覚えています
もー100超えた辺りからシェフとシェフの車だけでは足りません(笑)
シェフのお兄さん(車:HONDA S660)が駆り出されました
丁度持病の関係でフルで働くことができなくなっていたため、前働いていた車のディーラーの会社を退社済だったお兄さん、「配送だけなら全然いいよ」と手伝ってもらっていました
まぁぁあシェフにお顔がよく似てらっしゃる(笑)車のお話やらシェフの昔話やらいろんな話をしていただきました
次に100個がコンスタントに受注されるようになると
元アパレルのお姉ちゃん(車:ダイハツ タント)当時28歳だったかな、こちらのお姉ちゃんをお弁当要因として採用し、アルバイトという形でホール兼お弁当盛り込み~配達を行っていただきました。お弁当業務に追われお店を開ける機会が減ってきていたころなのでホール業務はさして行っておりませんでしたが(笑)
ここまではまだ、僕は配達に駆り出されることは少なく、少ない店舗営業と大量のお弁当仕込み&弁当箱折を行っていました
なのでこの頃の労働時間は
8:00出勤
20:00~21:00退勤
(22:00 ディナー予約があり営業する場合)
というような感じ
ディナーは開けず、基本はランチ営業のみ!収益はお弁当で!!っていう風にシフトチェンジしていきましたので12時間~14時間拘束くらいだったかと思います
さぁ!!200個超えた辺りには僕も駆り出されます!!そして、朝は5:30~6:00の間に出勤!!
新卒の僕、秋田楓(車:ダイハツ 中古のミラジーノ)当時20歳
スーパー低賃金だったので、やっとの思いで買った中古のミラジーノ(親に半分くらい出してもらってます)(ありがとう親)(ホントに感謝しています親)この子を仕事で使うだなんて…
走行距離のメーターがぐんぐん上がっていき、後部座席の背もたれを倒してブルーシートを敷き、お弁当を詰めた段ボールを運び入れるたびに小さな傷は増えていく…最っっ悪
イベントごとが重なっていた1か月間は20時間以上の拘束時間で、最高22~23時間くらい働いたこともありました。会社が店の近くに物置としてアパートの一室(ワンルーム、6畳くらい)を借りていたため、そこでシャワーを浴びてダンボールだらけの部屋で仮眠をとって
起きたらまた、弁当→配達→営業→仕込み→イベント→仕込み
次の日も仮眠から起きたら、弁当→配達→営業→イベント→仕込み→箱折 このループ
さすがにこの時の1か月間はしんどかったですが、なんせこの店が初めての正社員。「飲食業ってこんなもんだよな」なんて思ってました(笑)
通常営業がほとんどなくなって半年くらいたった頃に「そろそろ潮時かな。もう弁当はいいかな。」と思い始めました
入社して1年半くらいたった時かな、やっぱりちゃんと調理師として働きたいなと思い、お誘いいただいていたお店や社長さんとお話ししたりと転職活動を行って、なんやかんやで2年ほど勤めた結果(1年半はお弁当作ってました(笑)) 退社
そして上京する運びとなりました
退社後のお店はというと
予約が入れば開けましたが、不規則な営業時間や空けないことが多かったことでレストランのゲストは離れていきました
弁当の方は、どんどん競合の会社が出てきて売り上げは下がっていったそうです(弁当屋として買収されたとか東京に弁当屋として出店したとかいろんな噂は聞いたのですがよくわかりません)
メンタル面、体力面はかなり鍛えられました なんせ寝れない、低賃金、勉強になってる?
って感じが1年半続きましたしなかなか辞めさせてもらえませんでしたしね
メンタル面、体力面が鍛えられたことで、上京して一発目に働いたお店ではかなり役立ったような気がします(笑)
役立たないことはないものですね
現在新卒の後輩を持っている状況ですが
(あ、この4月でもう新卒じゃないのか…)その子はその子でヘルプに多く駆り出されているため社員業務をなかなか教えてあげられなかったりと不憫な思いをさせてしまっていることでしょう
新型コロナによる異例事態連発での新卒入社。これが後輩にとって今後の糧になることは間違いありませんが、それは渦中の本人は気付かないものです 僕はもともとは大学に行きたいと考えていましたが志望校の志望学部には落ちてしまったため調理師の専門学校に入学しましたので、今より一層コンプレックスの塊でしたから、実際に僕が働き始めの渦中にいた時は隣の芝生が青々と生い茂って見えていました(笑)
もしも、今年から調理師、ウェイター等飲食業界に就職し不憫に感じている方がいたとしたら 直ぐに辞めてほかに行くのも良いかとも思いますが、糧を蓄えてから辞めるのも手なのかなと僕は思います 意外と時間が経てば笑い話になりますし、振り返ってみるとあの経験は必要だったとも思えますよ
以上がぼくの新卒入社~ 2年間の思い出でした
秋田楓
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